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円陣家至高油類商

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2014年5月

(5)経験と体験

経験と体験・・・・辞書を引くとほぼ同じような意味を持っている。

おいらの思っている経験と体験は少し違う。

経験は体験に比べ知識容量は大きいが、大半は目や耳から入ってきたモノだ

体験は経験に比べ知識容量は小さいが知識としての重量は重たい

重いと言うのは経験で得た知識を実際に自身でやることで身に着けることができる

現在、世界中のことをインターネットと言うツールで知ることが出来る。

おいらが小さい時、世界中のことをニュースだけ上映している映画館でしか見聞きすることが出来なかった。これは映画を見ると言う体験はしているものの、世界で起こっていることを疑似体験しているに過ぎない。

これは経験の一つであろうと思っている。

テレビのワイドニュースなどを見ているとコメンテーターが色々な話題にそれらしく答えている。おいら自身が体験していない事柄については

「うぅーんなるほど・・・・・」

と思ったりするが、おいら自身の得意分野だと

「えぇーっ」

何デタラメ言ってんだと思うことがしばしばある。

体験しているか否かで発言する方も聞く方(見る方)も誤解が生じたりする。コメンテーターはそれが仕事だと言えばそれまでだが、何か釈然としない。

本もそうだ。

おいらが思う経験だけで書いていれば誤解されるような表現や間違った表現をされ、見る方も間違った知識を持ってしまう。

つまり教える側が間違ったことを教えれば聞く方は間違っていることを覚えてしまう

最近の歴史書が訂正されているが、この訂正が代表的なモノと言える

勿論歴史であるから、おいらの思う体験は出来ない。 この訂正される時代に生きていた人は現在生きていない。証明することはかなり難しいのが歴史だと思っている

おいらが習った歴史の一部は現在何の意味も持たない

又、どんなに体験値が高く本当のことを言っても信じてもらえない場合もある

間違った経験の数が多い場合である

これを一般的に常識と呼んでいる

前述した歴史がそうである。

間違いが訂正されるまでは常識である

科学の分野でも天動説地動説ではないが常識とは恐ろしいもので、異論を唱えれば、その人の人生さえも変えられてしまう

おいらは商品開発をする時、あまり常識と言われるモノに拘らない。

理由は諸々あるが、物事を一歩下がって見る性格が作用していると思う。

又、心の中心にいつも何が真実なのかを探っている自分がいると言う事もある。

当たり前と言われるかもしれないが、おいらは真実しか信じない。これはおいらの了見が狭いことを意味しているのかもしれない

間違っていると言われているモノでもおいらは光を当てる間違っていない可能性があると思っているからかもしれない

経験や体験は過去のこと、間違ったモノもあるかもしれない。でもおいらは温故知新ってぇ言葉が無性に好きなんだ



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