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過去の油職人今昔話

 

2015年5月

(17)バイク乗りの危機感

今のようにライトオンで走り始めたのはいつ頃からだったっけと、ふと頭に浮かんだ。

記憶を辿って行くとカワサキマッハV750SS H2に乗っていた頃だったと思う。

切っ掛けは九州地方でライトオン運動が起こっているとテレビかラジオかは忘れてしまったが見聞きしたことだ。東京や近郊でライトオンしているヤツはいなかった。おいらがライトオンで走っていると反対車線を走っている二輪四輪からパッシング(ライトが点いてるよって教えてくれる合図)されるのにはまいった。

と言う事はおいらのバイクを認識している表れではないかと、バイク仲間にもライトオンの安全性を説いて周った

若いときはどちらかと言えば飛ばし屋だった。今思い出すとゾッとする。

ちょっと大人しく走るようになったのは結婚してからだ。それでもカミさんを後ろに乗せてかっ飛ばしていた。本当に馬鹿だった。こうやって書いていられるのも生きているからこそだ。

ライトオンはカワサキマッハV750SS H2から現在に至るまで続けている。

ただ、電球の寿命は極端に短くなった

ハロゲンランプは存在していたが、明る過ぎて当時の車体整備法の基準に合わないので使用出来なかった。白熱電球は本当によく切れた

この当時は道路の舗装率も今ほどではなく、舗装されているかと思えば砂利道になったりと、ある意味ではとても危険な状況だった

舗装から砂利へのところでツーリング仲間が転んでいるの目の当たりにして、何とかならないのかを考えるようになった。

行き着いたのはサスペンションで、サスペンションなら転倒を防げるのではないかと考えた

フロントサスをバラして内部構造や作動原理を現物から学んでいった

そして作動油に行き着いた

今思えば、これが将来ABSOを開発する切っ掛けになったのだろうと思っている

(サスオイルの交換の最初は更に古くホンダCB72タイプ2の時だが、サスはバラしていない)おいらの記憶では1960年代〜1970年代ではサスオイルを油面ではなく油量で量っていた

おいらはフロントサスのエアーチャンバーの容積を変化させれば何かが起こるのではと仮定した

油量では左右にバラつきが出ることが分かっていたので油面でサスオイル交換をすることにした

ところが今の様な測定する機器が無い。仕方が無いのでノギスと水平器を使い何とか左右均等することができた

最初はメーカー指定のサスオイルを使い油面を上下させては走行しの繰り返しでデータを採った。

思った通り確かに変化は確認出来たのだが、何かシックリ来ない。今度は作動油そのモノに注目してみた

当時はミシン油(マシン油)の指定が多かったような記憶がある。

おいらは知ってる限りの色々なオイルを使って走行テストをしてみた

油面はミシン油使用で一番良かった油面にした。何かを基準にしていないとデータは取れないからだ。

オイルは油面以上に変化が確認出来た

これならってぇオイルを何個か見つけたが満足いくものではなかった

暴れることで有名なカワサキマッハV750SS H2の暴れが、かなり収まった。

でも安全ってぇレベルではなかった。安全への道程は長い・・・・・

スムース、トレース、セーフティ・・・・・



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