HOME » 油職人今昔話
いつの頃からかは忘れてしまったが、何事も極自然に客観視出来る(する)ようになっていた。
おいらはガキの頃身体が弱く小学校5年生まで体育の授業は見学だった。楽しそうに体育の授業を受ける級友の動きなどを暇なので観察していたのが、客観視出来る様になる切っ掛けだったのかもしれない。
そして人見知りで中々友達が出来ず、声をかけられても話はするものの自分に合うか否かをそれとなく観察している自分がいた。
仕事でも与えられた仕事の分析をそれとなくして、ウィークポイントを探ったり、効率化を図ったり、それとなくしてしまう自分がいた。
何をやるんでも一歩退いて観察、分析している自分がいる。今自分の歩んで来た軌跡を振り返ってみると主観視している自分があまり見当たらない。
でも若い時は経験が少ないこともあり客観的に行動しても失敗は多かった。失敗も経験の一つ、今は失敗も反面教師として役に立っている。
客観的に判断し方向が決まれば主観的に行動推進して行く。おいらの主観は体験したものに基づいていて、成功体験もあれば失敗体験も活かしたものである。
突然ですが、いじめっ子に対しては逆らわないことである。
何か言われたらどんなに理不尽なことであっても、
「そおだよ」
って相手にしなければ、いじめることに意味が無くなってくる。
逆らうからつけ込まれ、更にいじめられることになる。
いつかは分からないが人は一人になる。一人ボッチでも生きて行ける強い人間になれるチャンスと思ってはどうだろうか・・・・・
中学生になって直ぐ、おいらは腕っ節が強かったんで、番長相手に公開腕相撲を申し込んで叩きのめした。お陰で3年間誰からもいじめられることはなかった。先手必勝かな?
当時のいじめの原理が解っていたので先手が打てたと言うべきかな。客観的に観察すればいじめも原理は解ってくる。どんなことでも客観視することで真実が見えてくる。
でも最近のいじめは陰湿で犯罪か犯罪と紙一重のようで、育つ環境の影響が大きく反映されているような気がする。