HOME » 油職人今昔話
高校一年の免許取立ての頃、機械屋をやっていた叔父貴にホンダの初期に生産されていた単気筒125ccのバイクを借りた。
環七が未だ創り始めで、一部通行出来るところでもバイクや車は全くと言ってよいほど走っていなかった。
バイクの性能などチェックするには最高の場所だった。そして最高速にチャレンジした。
加速をつけギアをトップにした途端、エンジンが空フカシ状態になり、前に進まなくなった。
エンジンはアイドリングしている。
バイクを降りてチェックしたら、何と付いてるはずのチェーンが何処にも無い。
走って来たところを見た。
油ぎった塊が落ちていた。
傍まで戻るとチェーンだった。
生まれて初めての経験だったので、どうしたら良いのか全く判らない。途方にくれて周りを見るとカワサキの専門店?があった。
バイクを押して店に行くと小父さんに近いお兄さんが、
「どうしたんだい」
と声をかけてくれた。
経緯を説明すると、兄さんがチェーンのツナギコマを持ってきて、あっと言う間に直してくれた。直してもらったのは良いがお金の持ち合わせがあまり無かった。恐る恐るいくらですかって聞いたら、確か150円位の金額を言われたような覚えがある。
ポケットには100円しかなかった。
100円しかないと伝えると
「高校はどこだ?」
って聞かれた。
訳が解らない。高校名を告げると兄さんは
「100円でいいよ」
って言ってくれた。
続けて兄さんは
「君の高校の生徒は真面目だからな」
って言った。
更に
「整備だけは常にしとけよ」
って言われた。
おいらはペコリと頭を下げお礼を言った。今この店のあったところは四輪関係の店になっている。
おいらが若い時はノンシールチェーンしかなかった。又、クラッチワイヤーやアクセルワイヤーなどと同じでよく切れた。ノンシールだから切れ易いと言う事ではない。
おいらがバイクに乗り始めの頃は、
「チェーンは切れる」
「ワイヤーも切れる」
「スパークプラグはブリッヂする」
とにかく予防整備をしとくか、ツーリングに行くときは各パーツを事前に用意し、工具と共にタンデムシートにくくりつけて行くのを忘れないのが鉄則だった。
こんな時代に生まれ、その時代を体験できたこと、おいらは心底感謝している。
油屋のくせして
「添加剤より整備を」
と言い続けているのも、こんな体験が影響しているのだろう。
整備は仁術、油脂類を創り出すのも仁術。