HOME » 油職人今昔話
巷で起こる事が複雑で難解なものが多くなってきているような気がする。
おいらは単純且つひねくれ者なので、物事を出来るだけ単純化して考えるようにしている。
起こっていることのバックグラウンドを探ると意外と簡単な仕組みであることが見えてくる。
だが多くの人々は難しく考えたり、行動しようとする。
バイクなど機械モノは年々構造が難しく複雑になっていく。そして重量が増えていく。増えた重量をあらゆる箇所を削ったり薄くしたり軽くて高価な材料を使ったりと重量軽減を図らなければならなくなる。
4〜5年前、ある大手メーカーのレーシングサスペンションの中を見せてもらったことがある。
こんなに複雑にしなくてもって思うくらいの内容だった。
複雑難解にするのは大きな意味でセクショナリズムのような気がする。
サスペンションの作動のメカニズムはサスペンション専門の設計屋が担当し機械的に性能を高めようとする。
作動油は油の専門屋が担当、
タイヤはタイヤ屋、
フレームはフレーム専門の設計屋、
エンジンはエンジン専門の設計屋・・・・・
と・・・・・これが上手くかみ合えば凄いものが生まれるのだろうが、かみ合わなければどうなってしまうのだろう。
優秀なコンダクターが必要かもしれない。
レースも勝つことを目的にすればと思うのだが、勝てないチームを見ると不思議と勝つことを目的としていない。
不思議ですね。
不可解ですね。
せっかく勝てるライダーやドライバーがいるのに何故なんでしょう。
おいらが知る限り勝つことが最終目的ではなく、レースをすることが最終目的となっているようです。
レースをしていることで満足してしまえば、その先にある、勝つと言うところに到達することは到底無理となる。
この考えられない「考え方」はスポーツ選手、特に勝てなかった選手に時々見ることができる。この選手はテレビのインタビューにレース前は必ず
「楽しみたい」
とか、
レース後は
「楽しめました」
って言うんだ。
勝った選手ならまだしも負けた選手が言うことなのかと思う。
貴重な税金やスポンサーのお金が使われていることを思えばこんなこと言えるはずがない。勝つと言う事は大変な努力がいる。とても苦しかったと思う。そんな苦しい思いをした選手が
「楽しめた」
なんて言えるはずがない。
人間の見栄や変なプライドの持つ力って凄いと思う。
そして、このような選手は生き残ることはない。
この見栄や変なプライドはこの選手の持っている素晴らしい能力さえ呑み込んでしまう。これに気が付けば、この選手は生き残れる可能性が高まる。生き残った選手は二度と
「楽しめました」
と言うのを見聞きしたことがない。
この見栄や変なプライドはどの世界(業界でも)にも魑魅魍魎の如く存在している。失敗した時に、何でだろうって考えてみると意外と単純な原因かもしれない。
ワールド・モトクロスGP参戦中の山本鯨選手はおいらの知る限り勝つことを最終目的としている選手だ。
彼は小さな頃からモトクロス漬けの毎日をおくっていた。その努力は凄まじかった。
彼をサポートするにあたってあらゆる角度から彼を知ろうとした。
彼は天才だと思った。
努力する天才である。
努力する天才は最強である。
もし彼が努力する天才を返上しなけれぱならない時、それは年齢のような気がする。