HOME » 油職人今昔話
おいらにとって昭和は宝の山だった。昭和20〜30年代は特に宝の山だった。
色んなモノに出会った。
市販薬でペニシリン軟膏と言うメチャクチャ良く効く薬があった。
不衛生が原因なのか栄養不良が原因なのかは判らないが、よく尻にオデキができたり、目のマブタに正式名は知らないが「モノモライ」と言うオデキみたいなモノが出来た。
このオデキやモノモライにペニシリン軟膏を塗ると不思議なくらい直ぐ治った。ペニシリン注射やペニシリンの経口薬もあったような記憶がある。
ペニシリン注射はもの凄く痛かった。
現在ペニシリンが含まれる市販薬は一般販売されていないようだ?
噴霧薬のDDTってぇ粉状の消毒薬があった。
汲み取り式の便所の汲み取り口の周りに噴霧したり、ドブと言われる側溝に噴霧したり、定期的に畳を剥がし、畳と床の間に満遍なく噴霧した記憶がある。
このDDTと言われる消毒薬も現在販売されていない?
この二つの薬、最近何故か気になって仕方が無い。
おいらに多大な影響を与えた漫画。ノラクロは古過ぎるが「くりちゃん」「いがぐり君」「赤胴鈴之助」「まぼろし探偵」「月光仮面」・・・・・
二次元を頭の中で三次元に変換することを教えてくれた。
ブリキの玩具は機械の素晴らしさ凄さを教えてくれた。再組み立てが出来ないくせに飽きると分解して親父にこっ酷く怒られた。
竹は至る所に生えていた。ノコギリ持って竹をかっぱらいに行った。杉やヒノキには無い弾力性に何故か魅力を感じた。
ノコギリと切り出しナイフで弓を創った。
弦は凧糸を何本か撚って使った。矢も竹で先を尖らせて創った。杉の板を貫通する威力があった。
直ぐ下の弟がおいらの真似をして弓を創っていた。ササクレを処理してなかったので指に大きなトゲを刺し病院に直行した。そして弓はおいらに傷つけることを教えてくれた。
あまり娯楽が無かった時代、映画は唯一の娯楽だった。
親父が大の映画好きだったので幼稚園に行く前からよく映画を見に連れて行ってくれた。最初の頃はニュースばっかりやっている映画を見せてくれた。世界中の出来事を伝える映画だった。見るもの全てが異国のものであることもあって初めて見る出来事ばかりで一人興奮していた記憶がある。特に陸と海と空で、最高速にチャレンジする様は車と船と飛行機と言う人間が創ったことの凄さを教えてくれた。
キングコングやゴジラは特撮マジックの裏側を想像させてくれるには十分だった。
当時映画館は上映中でもタバコを吸っているおっさん達がいた。禁煙じゃなかったのかもしれない。
ラヂオは近所がテリトリーだったおいらに世界の情報を教えてくれ、初期のテレビはリアルに時の動きを教えてくれた。時の動きとは別に今で言う海外ドラマが数多く放映されていた。アメリカ製のドラマがほとんどだった。西部劇や戦争モノ、Gメン(刑事)モノが大好きで欠かさず見ていた。「パパ大好き」や「うちのママは世界一」や「奥様は魔女」などアメリカ人の生活を垣間見ることが出来た。このホームドラマは後年おいらの人生観を変えた。
名犬ラッシーと言う題名のドラマだったと思うが、坂道を下る動力を持たない引力が動力と言う「石鹸箱レース」を題材にしたものが放映された。
子供が乗れる程度の箱の前後に車輪を付ける単純な構造モノだ。そんなことを子供にやらせてくれるアメリカに憧れた。中にはズルするヤツがいる。塗ってはいけない高性能グリスを内緒で車軸に塗るんだ。
さぁレースの場面になった。2台で競い合うんだが、ドラマらしくズルしているヤツと主役の子が対決、序盤はズルしているヤツに負けているが、最後はズルしているヤツがオーバースピードでコースアウトし主役の子が勝つと言うものだ。
この頃のアメリカって正義があった気がする。
吹き替えと言う方法で外人が日本語を喋ってくれるので英語の解らない爺さん婆さんや幼い子供でもドラマを楽しめた。おいらの婆さんなんざぁ「最近の外人さんは日本語が上手くなったねぇ」なんて落語の噺のようなこと言っていた。
ウソのような本当の話である。